山あり谷あり
引退ブログ最後を務めます、主将の吉村颯馬です。
平素よりお世話になっております。
まず初めに日頃より応援してくださっている OB、OG、保護者、関係者の皆様、多大なるご支援、ご声援共にありがとうございます。
最後のブログということで自分の4年間の歩みを綴ろうと思います。
1回生の春、大学では海外旅行へ行くためのお金を貯めるために高校までやっていたサッカーをほどほどに続けながらバイトに励もうと考えてた。
そんな中、様々な新歓に足を運んでいくうちにラクロス部に出会った。
もちろん部活などやるつもりは無かったが、バイトもできること、スタートラインが全員同じことに惹かれ、気がつけば入部を決めていた。
なんとなくで始まったラクロス人生だったが高校の部活の影響もあり、やるなら本気でやろうと誰よりも練習をした。
部活がある日もない日もクロスを持って、授業の合間や時々授業を切りながら壁打ちをした。
このときは周りと一緒に上手くなりたいとかではなく自分が上手くなることに必死だった。
その努力が報われたのかユース練習会に参加し、Greenの活動強化指定選手に選ばれた。
しかしその直後に手を骨折し練習会にも参加できず、チームで目標にしてきたサマーにも出場することができなかった。
今まで必死にやってきたことが全て無駄になったように感じて涙が止まらなかった。
そんな気持ちで迎えたサマー当日、チームが点を決めても素直に喜べない自分がいた。
サマーが終わるとあっという間にウィンターが始まった。サマーに出場できなかった分ここで活躍してやろうと決意して臨んだが結果としては絶好のチャンスを外すなどチームの役に立つことができなかった。
そうして一回生だけでの時間は幕を閉じ、上回生との練習が始まった。
2月に行った名古屋遠征では試合に出させてもらったが、そこでも何もできなかったためリーグ戦で活躍できるようにもっと上手くなりたいと感じた。
そんな矢先、新型コロナウイルスの流行により部活動が出来なくなった。
初めは壁打ちやラントレ、筋トレとやる気を持って取り組むことができたが先の見えない活動休止にモチベーションを上手く保つことができずすぐにサボるようになってしまった。
今思えばこの時、自分がモチベーションを保つことはもちろん、回生リーダーとして同回生を引っ張っていくべきだった。
そして迎えた特別大会、少しだけだが出場機会を得ることができた。
自分の1on1から始まった攻撃で点が決まりとても嬉しく感じたが、もっと出場したいと自信を持って先輩に言えるほど頑張れていない自分に苛立ちを覚えた。
そうして始まった新チーム、ようやくリーグ戦の舞台に立ちチームに貢献できると思っていた。
オフェンスでは先輩とぶつかり合いながらも戦術を必死に考えながら練習に励んでいた。
4月 前十字靭帯断裂
8ヶ月の運動停止が言い渡され、リーグ戦に出場できないことが春先に決まってしまった。
それでも自分はなんとかできることをやろうと壁打ちや新入生の育成に力を入れた。リハビリも頑張り続ければ8ヶ月を縮められるのではないかと考えていた。
しかし現実はそう甘くなく秋頃にリーグ戦に間に合わないことが確定した。悔しくて悔しくて悔しくて練習にも顔を出すことが出来なくなってしまった。
そしてすぐに時は過ぎ先輩たちは引退した。
最上回になって下を引っ張って行く不安、
8ヶ月のブランクによるラクロスへの不安、
また同じように大怪我をする不安、
様々な不安が積み重なりプレイヤーを続けるかさえ悩んでいた。
しかし同期がブランクがあった分自分にはラクロスのことに集中してチームのことは任せてほしいと言われて一気にその不安から解放された。
こんなにも頼もしい同回生に出会えて本当に良かったと感じた。
そこからはラクロスに対してはなんの気兼ねもなく楽しくプレーを行うことが出来た。
一方でチーム運営は上手くいかないことが多かった。
遅刻や欠席者が多く練習中の雰囲気も良くないことが続いた。
それでも自分はブランクを埋めようとラントレ、筋トレ、壁打ちを怠らず続けた。
そして4月、下の代からやる気が見えないと言われた。
自分では必死にやっていたつもりだったのでショックが大きかった。どうすれば良いのか分からずに練習にすら行きたくなくなってしまった。
そんな時自分を支えてくれたのは副将のあきともだった。
何とか息を吹き返しそれからは目に見える努力もするように意識した。
そして徐々に練習の雰囲気が良くなって行くのを感じ、5月にはようやくチーム初勝利を掴むことができた。
しかしまた新たな壁が現れる。
交流戦 追手門学院大学戦、Bリーグ 名古屋大学戦・京都産業大学戦と連敗が続きチームの雰囲気が上がらず退部者を出してしまった。
今年1番のチームの危機を迎えたが今思うとこれはむしろチャンスだったと思う。
桂さんを始め、OBさんの方々が話を聞いてくださり、様々なアドバイスをいただいた。
その中でも”他責にしない”ということが1番印象に残ってる。
チームの雰囲気が悪くても他人が付いて来ないからと人のせいにするのは簡単で、でもそれでは何も変わらない。
まず「自分を変えなければならない」と学んだ。
またHCの秋本さんにはチームがどん底に落ちた時からリーグ戦までどのように雰囲気を上げて行くのかを計画し、チームの回復をサポートしていただいた。
こうして様々な人に支えられ迎えたリーグ戦初戦。
初めてのリーグ戦の舞台に緊張し、上手く試合を進めることが出来なかった。また試合では1点も決められていなかったためリーグ戦では活躍しなければという焦りもあった。
そして迎えた3Q、念願のゴールが決まった。
その瞬間今まで上手く行かなかった瞬間が一気に頭に流れ込んできてそのもやもやから解放されるような気持ちになった。
試合もまだ終わっていないのに気づけば涙を流していた。
本当にラクロスをやってきて良かったと思えた瞬間だった。
それからのリーグ戦は思い通りにプレー出来るようになり得点も積み重ねることが出来た。最終的にはチームは5勝1敗、夏にどん底に落ちたチームとは思えないくらいに輝いていた。
同回生が辞めてしまっても最後までついてきてくれた2回生、急に試合に出なければならなくなったのに最上回に食らいつき、リーグ戦でも活躍してくれた1回生、本当にありがとう。
入れ替え戦まであと4日間。全てを出し切り勝ちに行こう。
4回生は泣いても笑っても最後の試合。
後悔のないように走り切るではなく後悔のないように勝ち切ろう。
ここまでやれたなら絶対にやれる。
長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございます。
最後まで応援の程よろしくお願いします。
2期の大林です。
卒業生のブログコメント拝見させてもらいました。
みなさんの熱い思い伝わってきました。
たまたま、30周年の記念パーティーをドンチャン騒ぎしたいと思って、声をかけただけだったのが、OB会設立まで話が進んで、現役のみなさんと繋がることが出来て、良かったと思います。
4回生のみなさんに、伝えたい想いが、3つあります。
まず最初に、残り少ない時間を楽しんで下さい。
『ラクロスを好きになってくれ。』KITラクロス部を設立した1期の大松さんが、2期の私たちの新歓コンパで語っていた口説きの言葉です。
設立の趣旨に高尚な思いなんてありません。
でも、とてもシンプルで、一番大事なことだと思ってます。
ラクロス部が出来て30年が経ちますが、みなさんにも、設立時の思いが紡がれているんだと、嬉しく思ってます。
後悔しないようにプレーするのはもちろんですが、仲間とともに過ごす時間も貴重な時間です。
少しでもたくさん想い出を作って楽しんで下さい。
2つ目は、今までやってきたことに、自分に自信を持って下さい。
昔からそうですが、京都工芸繊維大学ラクロス部は、運動が得意な人、不得意な人、いろんな人がいます。理系なので、学業を優先して来なくなる人もいます。ラクロスに対する想いも、バラバラ。そう、多様性の宝庫です。
そんな中、チームを運営し続けることは、とても大変なことです。
なのに、コロナ禍になって、チーム運営は、更に大変だったと思います。
社会人25年目で、会社で組織を運営する立場になった私が思うのは、京都工芸繊維大学ラクロス部での活動は、ものすごく役に立ちます。
また、プレー面でも、社会人のクラブチームに入って1部でやってた選手達とプレーしてみると、意外と出来るものです。
そう、強いチームとの差なんて、ほんの少しなんです。
だから、自信持ってプレーしてください。
そして3つ目、これからもラクロス部に関わって下さい。
OB会でも、何でも構いません。
冒頭でも述べましたが、京都工芸繊維大学ラクロス部には、高尚な設立趣旨なんてありません。
ラクロスを好きになって、楽しめばいいんです。
卒業してからも同じです。
ユルくラクロス部と繋がっていたらいいと思います。
OB会は、そのきっかけの場なだけですので、上手く使って、関係を続けて貰えたらと思います。
長くなりましたが、最後に入替戦頑張って下さい。
私達は、3回生の時に入替戦に勝てませんでした。
楽しんで欲しいと言ってますが、やっぱり、勝たないと楽しくありません。
最後に、いい結果で終わってもらえたらと思います。
遠くから応援しています。